運命やいかに。

KKIICHIIIのブログ

バンドを終えて その③ 完

pajama d'redドラムのすけちゃんは配達のバイト先に入ってきたブルーハーツ好きな専門学生の男の子でした。

 

その頃髪型は、小学生の男の子!って感じで

 

元気良くて

 

ひとなつっこくて、

 

西成のおっさん!みたいなおっさんばかりのバイト先の人気者に気が付けばなっていました。

 

よくライブにも見にきてくれました。

 

姫路から、

 

大阪に来る口実として熱帯魚の専門学校に入学して

 

バンドをやるために大阪にきました。

 

年末はバイト先のみんなですけちゃん家で鍋したりして(蕎麦の配達やから年末やばいぐらい忙しくて、深夜2時に店閉めてみんなですけちゃん家直行!って感じで楽しかった)

 

仲のいい後輩でした。

 

 

僕がGRIMM AND GRIMMをやめ、バンドやるなら一緒にやりたいみたいな話になって。

 

 

色々模索した結果、

はじめはすけちゃんにドラムを教えてツーピースバンドとしてやるつもりでpajama d'redという名前を決めました。

 

 

 

 

 

 

 

ギターの愛ちゃんは原ZINのギターのアキラの幼なじみで、

 

高校の時にライブハウスで知り合いました。

 

 

 

 

しばらくしてGRIMM AND GRIMMの時、住んでいた家の近くの居酒屋でバイトしていたところたまたま再会して、そっからちょくちょくライブにもきてくれるようになりました。

 

 

愛ちゃんは

すんごい自我がつよくてうるさくて

話しててもなんか馬鹿にされてる感じがして

 

頭の中がいろーーんな考えでぐるぐる回ってるような大変な性格を持っている女の子でした。

 

一時期、ぶんぎゃぶんぎゃ愛ちゃんってあだ名をつけてたぐらいでした。

 

 

そのうちソフランの彼女になって

 

すぐにソフランと別れて、暇そうにしていたところを試しにpajama d'redに誘ってみることにしました。

 

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こんな適当に誘ってもやってくれました。笑

 

ずば抜けてる女の子って、、、笑

我ながら完璧な誘い文句やったし適任やったわ、、、笑

 

 

 

 

 

条件は、2年後にやめるって事でした。(楽しかったのとめっちゃ仲良かったから半年ほど延びたけど!)

 

はじめはベースを探したり色々模索しましたが結局この3人でベースレスバンドとしてやろうって決めました。

 

歌物のメロディにブッチャーズみたいなサウンドで、ギターウルフみたいなライブパフォーマンスをするバンドをやろう。

 

これがpajama d'redのコンセプトでした。

 

 

 

 

 

 

僕が数十年前の北海道のシーンが大好きやったんで

 

初ライブは北海道でしました。

 

2枚目のアルバムは北海道出身のDMBQ増子さんにプロデュースをお願いしました。

 

 

 

愛ちゃんが辞めるとき、お客さんがいっぱい来てくれました。

 

 

 

ベースの田吾作は

 

 

初めのツアーが終わった次のライブで対バンして以来

 

ずっとメンバーに入りたい入りたいと言ってくれてました。

 

 

愛ちゃんの2年期間がおわり、メンバーどうしよっかなと悩んでいたところ一番最初に思いついたのは

 

ずっとメンバーに入りたいって言ってくれてた田吾作でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パジャマの休止の理由はざっくりと

 

すけちゃんが僕とやり続けることに疲れちゃって、

それに対して、それでも僕がバンドを引っ張るっていう気持ちがなくなっちゃって、

それと同時に田吾作がバイト先に騙されて社員になって忙しくなって彼女にフられて家追い出されたタイミングが重なったからです。

 

 

笑笑笑笑

 

なんか文字に起こしてみると最悪やん笑笑

 

 

そりゃ止めた方がいいわな。笑笑笑

 

 

もっというと、

 

すけちゃんは僕がどんなに理にかなったポジティブなことを言っても

なぜか振り切って間違ったネガティブな方向にしか理解しなくて

 

田吾作は何を聞いても言い訳みたいな答えしか返ってこなくなって

 

落とし所に落ち着かせようと思って話せば話すほど変な方向に誤解が進んでいって

 

 

これは正直詰んだな。って思いました。

 

 

 

でも、

 

田吾作はまだまだやりたがってるし

 

せっかくいいバンドなんで

 

とりあえず休止期間は最大1年を目処にしようと約束して

 

 

すけちゃんの気持ちとか仕事とかそのときの僕の状況とかの

タイミングが合う時にまたやりたいなと思います。

 

(本音を言うと二人にはもっと成長して欲しい。。。笑)

 

 1年以上誰かとずっと一緒にいると

 

その人の

自分しか知らないこう言う部分やああ言うがたくさん出てきて、相性合う人間でもきっと思うところはたくさん出てくるんやと思うんですよ。

 

共通の知り合いとかに聞いても、その人は長年毎日一緒にいるわけじゃないから

共感してもらえる人なんて現れなくて。

 

それでいて他人の言う浅い感想を鵜呑みにしてしまったり。されたり。

 

結局は自分自信が何を思うかしか信じちゃいけないんです。

 

 

 

 

バンドを終えて。

 

 

 僕はそれを学びました。

 

哲学みたいな話にまとまってしまった!!!

 

SNSとかメディアとかでも、どっかの誰かが書いた人の情報を鵜呑みにしたらあかんのです!だから僕のブログに出てくる人たちもあくまで僕の主観でしかすぎません!)

 

本当に、今あるバンドなんてみんながみんな奇跡的に成り立ってるもんやと思います。

 

僕も含めいままで一緒にバンド組んできた人たち全員が全員

それぞれ別方向にめっっっちゃあほでしたし笑笑笑笑

 

 

あほでめっちゃ好きでした。

 

トレインスポッティングに出てくる仲間たちみたいにめちゃくちゃな奴らばっかでしたけど

 

みんな大切な仲間でした。

 

平気でけなすし、あいつはね!!!みたいにおもしろ話のネタとして話すことはありますけど

 

みんなが何やっても

 

友達やから仕方ないんですけどね。 笑

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたか?

 

 

3回にわたってつらつらと僕の今までのバンド遍歴を

 

いい思い出みたいに語ってきましたけど、、。

 

皆さんはぼくのやってきたバンドの中で、どのバンドが一番良かったですか?

 

書いてて、こんな、沢山バンドやってきたくせにどれも全く売れてない25歳バンドマンのひねくれた話なんてきいてなにが面白いんだって何度も思いましたけど

 

思ったより結構沢山読んでくれてる人がいてありがたい限りです。

 

 

 

紹介したYouTubeの動画以外にも

過去の僕は沢山YouTubeにいますので良かったら探してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バンドを終えて。。

 

 

 

1人になりましたが事務所に入れて。

 

 

社会的な立場としての肩書きが、自称ミュージシャンのフリーターから

ちゃんとしたいちアーティストとなり、(まだなにもしてませんが!笑)

 

僕の音楽人生はどうやらこれからが本番みたいです。

 

 

 

 

ちょっと話逸れますが

僕の自信の根拠にしてる話があるんですけど

 

 

一人暮らしをやめて実家に戻ってきたときに、

 

占いとかそういうの好きな親が

遠回しに手に職つけて安定しろってことを僕に理解してほしかったからなのか

この先現実を教えたかったのか、

無理やり占星術のすごい先生みたいなところに連れて行かされて占われたんです。

 

 

占い結果は親の意に反して

 僕は音楽で必ず成功するからもっとやりなさい。でした。笑

 

しかも音楽や何かクリエイティブなものを作れば作るほど運気が上がるらしいです。

 

それも2020年の2月から爆発します。とのことで、

 

(そっから親はものすごく応援してくれるようになりました。笑)

 

 

占いにハマった友達や

知り合いの知り合いみたいな感じで会った手相を見続けて四半世紀のカリスマ手相占い師の人など

 

その筋の人たちが全員揃いに揃って

 

きいちくんは必ず成功します。2020年2月から大きく良い方向に変わるみたいです。

 

って言われました。 

 

ちょうど2月に大手の事務所に入れたのできっとそういうことなんでしょう。笑

しかも今年のおみくじは大吉でした。笑笑

 

(僕自身、オカルトや占いは好きですけど小学生のときにカメハメ派の練習するような感覚ぐらいパブリックでコミカルな感じで好きです。)

 

そういえば!

事務所が決まることになる直前 

一時期話題になった、目撃すると幸運が訪れるというあのちっさいおっさんも見かけました。(これまじなんです!!ひとり東京の寿司屋で寿司食ってたら見ました!!信じてください!!!)

 

 

 

なので僕は必ず売れるみたいです。笑

 

誰も未来のことはわからないですけど、そんなこんなで自信はあります。笑

 

音楽やる以上はやっぱり売れないとって思ってますから、頑張るんでよければ見ていてください。

 

 

 応援していただけたらありがたいです。

 

 

これからは今まで以上にたくさん音楽を作っていきますし

 

クリエイティブなものをたくさん作っていきます。

 

 

ご期待いただけると幸いです。

 

 

最後の占いの話はバンドを終えてのテーマから脱線しましたけど、笑

 

また気が赴くままにブログも更新してきたいと思います。

 

 

その①から最後まで読んでくれた方ありがとうございました。

 

 

 

おわり。

 

バンドを終えて その②

THE噛ませ犬での活動はおよそ1年ほどでした。

 

でもその1年、とても濃くて

 

思い返せばとても長く感じます。

 

中でも強く覚えているのは

 

閃光ライオットという未成年のオーディション形式のフェスで

3次審査まで進んで1000人ぐらいの前でライブをしたこと。(めっっちゃ緊張した!!)

 

 

そして、僕が主催したイベントで出てたKING BROTHERSのライブのアンコールにベースで参加して、

bloodthirsty butchersのJACK NICOLSONを演奏したこと。

(映像誰かが持ってると思うんですけど、、!手元にない、、また見たい、、!)

 

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走馬灯をみるとしたら、間違いなくこのふたつの経験は入ってきます。

 

 

THE噛ませ犬は、名前だけ大きくなっていったようで周りからみると順調に見えたかもしれませんが

 

実際はそんなこと全くありませんでした。

 

 

いいイベントにはよく呼ばれてはいましたが

 

 

CDは売れない

 

お客さんはほとんどいない。

 

東京で5人来ればいい方。

 

借金まみれ

 

火の車で

 

挙句の果てにメンバーの失踪。

 

 

 

僕がTHE噛ませ犬をやめたのは喧嘩別れでした。

 

理由は本当に最悪でした。

 

女、金、エトセトラ、

 

これぞロックバンド!って感じですね。笑

 

 

最後の日はよく覚えています。

 

神戸でのライブ後。

 

 

メンバーに対して怒りがつもりに積もってやる気がなくなっている僕に、マネージャー的な人がなんとかしようと説得してくれました

 

ですが説得も拉致が開かず

 

ライブハウスの近くのコンビニでカップラーメン食ってる大ちゃんとギターのトクの前に連れてかれて

マネージャーに訳を話してくれと諭されました。

 

その頃はメンバーみんな精神的にきつくて

 

僕も含めみんな未熟でした。

 

 

僕がやめたい。と話すと、トクが豚骨味のカップラーメンを僕にぶっかけて

 

辞めたいならやめろぉぉぉお!!

 

って叫んでそのまま走って逃げて行きました。

 

僕は怒りよりも呆れ果てて。

 

とぼとぼと豚骨臭い体でライブハウスに荷物を取りに行くと、

トクがうしろから音もなく全速力でタックルしてきました。(めっちゃ卑怯!!笑)

 

僕は倒れるのを堪えて、トクの腕をとって、

トクの頬を2発殴りました。

 

そのままトクを地面に倒した後、

荷物をとってライブハウスを後にしました。

 

(出口で一部始終を見ていたやんちゃそうなバンドマンに元気よく「お疲れ様でしたー!!」って言ったら向こうも「お疲れ様でした!!!!!」ってもっと元気よく返してくれました。笑)

 

その日のライブイベントはまだ終わってませんでした。

 

これが僕のTHE噛ませ犬での最後となりました。

 

血の滲んだ指を握って豚骨くさい体で電車に乗って帰ったあの道のあの時間は本当に地獄でした。

 

背徳感というか、本当に申し訳ない気持ちはあるけれど、それ以上に怒りがあって、

 

ふと、やっさんの遺書を思い出しました。

 

「方法はこれ以外思いつかなかった。」

 

 

。。

 

なんて、辛気臭すぎる武勇伝語ったところで

今ではいい思い出です!!笑

噛ませ犬のメンバーとは年に1回会うか会わないかぐらいですがもう完全に和解しきっています。

 

 

それから僕は、芸大の友達

ソフランと組んで大阪の車庫無しベースレスガレージバンド

GRIMM AND GRIMMをはじめました。

 

 

 

キレッキレやんな俺。笑

 

 

 

 

GRIMM AND GRIMMは人気こそ全くなかったものの

やっててすごく楽しかったです。

 

バンドは楽しかったですが

 

それ以外何もかも不調でした。

 

この頃僕は、THE噛ませ犬で少々知名度があったみたいで

ある程度ちやほやされていた部分があったのですが

 

GRIMM AND GRIMMになった途端周りの反応は180度手のひらが返ってしまいました。

 

 

人間というのは怖いものです。

 

優しかった人も、僕に価値がないとわかった途端にものすごく冷たい態度を取るようになりました。

 

それにより、

僕としての今までの存在意義みたいなんにものすごく悩まされたのを覚えています。

 

人間不信まではならなかったけど。

 

 

大学中退する前から付き合っていた1つ上の彼女にもフラれ。

 

噛ませ犬の時作ってしまった借金に追われ。

 

たくさん失敗もしました。

 

一人暮らしだった僕は毎日昼と夜勤のバイト漬け。

 

休みという言葉自体を完全に忘れて、38度の高熱が出ても働きました。

 

エレファントカシマシを聞いて反吐が出るほど生活することを頑張りました。

 

 

 

 

そんなどん底の泥沼のような生活をしていたある日、KING BROTHERSのけいぞうさんから電話がかかってきました。

 

「キイチ、今週末のツアーに手伝いで付いてきてくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キングとの出会いは、僕が噛ませ犬の時に主催したイベントがきっかけで

 

 

イベントが終わった数日後

若い僕は失礼ながらも

「今度のボロフェスタでゲストで見に行くことはできますか!」

 とけいぞうさんに連絡しました。

 

「ゲストはできないけどスタッフとしてなら大丈夫だから、手伝ってくれるなら大丈夫」

 

とのことで一度手伝ったことがありました。

 

 

それからちょくちょく、この日手伝いにくれくれない?

と誘ってもらえることが増えて。

 

何度かツアーに付いて行っているたびにいつのまにかキングブラザーズは僕を専属のローディスタッフとして迎え入れてくれていました。

 

 

 

 

 

 

この中に僕が働いています。探してみてください笑 (めっちゃすぐ見つかります)

 

キングブラザーズには本当に多くのことを学ばせてもらいました。

 

 

めっちゃ怒られることもたくさんありました。

 

ライブ中にギターでどつかれたり

 

僕が調子に乗ったことを言ったせいで

飲み会の席でみんながいる前で公開説教を食らったり

 

でも、本当に楽しかったし嬉しかったし、(ドMかよ)

 

経験できる全てが何度体験しても新鮮で。

 

ありがたかったです。

 

 

私生活はどん底の泥沼と言いましたけど、それのおかげとキングブラザーズのおかげで

人間としてものすごく成長できた時期だった気がします。

 

 

GRIMM AND GRIMMは結局

僕がガレージじゃなくて、bloodthirsty butchersみたいな何十年か前の北海道のオルタナっぽい曲をしたくなったのに対し

 

メンバーはついてきてくれなくて解散しました。

 

そのときキングブラザーズのマヤさんにアドバイスをもらい、

楽器は初心者でしたがこころざし高いメンバーとしてバイト先の後輩だったすけちゃんを誘って

 

およそ3年ほど続けたキングブラザーズのローディも、新しいバンドが活動し始めるとやめますと決めて

 

 

pajama d'redというバンドをはじめることになりました。

 

 

 

 

つづく。

バンドを終えて その①

バンドを終えて、

 

バンドマンとしてのキイチくんを一旦終えて、

 

ひとりのアーティストとして、きゃりーぱみゅぱみゅさん、中田ヤスタカさんが所属するアソビシステムの新部署、ASOBINEXTと言うところに所属が決まって。

 

僕の音楽人生

先はとても明るいんです!

 

 

がその前に。

 

バンドを終えて、、

 

今までの僕のバンド人生を振り返ってみると

 

高校一年生んときの軽音部からはじまって約9年。

 

気が付けばいままでの人生の3分の1以上はバンドしてました。

 

バンドではなく楽器を始めたのはもっと前、小6の頃。。。かな?

 

親が山崎まさよしのファンで、アコースティックギターを買ってくれたのがきっかけで

 

コードを覚えて

山崎まさよしをコピーしたりオリジナルで曲作ってました。

 

キイチはギターが弾ける。

 

そんな噂を聞きつけて、高校の同じクラスの大ちゃんが軽音部に誘いたいと

 

言っていると

別のクラスの軽音部の女子が勧誘してきてまんまと軽音部に入りました。

 

 

ギターが弾けるからという理由で軽音部に入ったのに何故か担当パートはドラム。。。

 

高校3年間、軽音部に誘ってきた大ちゃんと、ベースのやっさん、ギターの鳩ちゃんとブルーハーツと銀杏BOYSのコピーで青春をしました。

 

すごく楽しかった、大ちゃんからいろんなインディーズバンドを教えてもらって、やっさんからはローリングストーンズからはじめ洋楽をたくさん紹介してくれて。

 

やっさんは筋肉すごかったので僕の彫刻作品のモデルになってもらったり、体育祭の応援団で共に涙したり

 

これぞ青春って感じでした。

 

 

高校3年になる頃、大ちゃんとやっさんが外バン(軽音部以外での他校の人と組むバンド)として童貞ピーターパンってバンドを始めました。

 

それに対抗する、と言うのと

自分で曲を作って歌いたいからって言う理由で

 

僕もライブハウスで出会ったドロドロのギターこと童貞のアキラっていうやつと組んで外バンを始めました。

 

僕の高校は美術系の学校で、みんな世間の流行りに流されることを嫌うからか何故なのかはわからなかったけど

 

その頃は僕の学校や、通っていたライブハウスなどで泥臭い青春パンクが一番イケてるとされていて

 

共学で女子が9割を占めて入る美術学校にもかかわらず

 

男子みんなして童貞を誇りに掲げた日々過ごしていました。

 

そんなちょっと歪んだ高校時代、、、、、、。笑

 

その変な厨二的に泥臭い中から生まれたのが大ちゃんとやっさんのバンド、童貞ピーターパン

と、僕と童貞のアキラ率いるバンド。

 

名前は原ZIN。げんじんって読みます。

 

 

 

 

若すぎる。。。笑

 

2013年やって、、、7年前、、!!!

恥ずかしいけどこの際やから全部晒しますね。笑

 

 

 

一方童貞ピーターパンはさすがに改名することになるのですが、。

 

 

 

 

 

 高校三年の冬、

 

やっさんがマンションから飛び降りて亡くなりました。

 

 

 

 

遺書はとても長い日記みたいな感じで、色々書いてありましたが

 

その中の一部分にこう書いてありました。

 

 

このまま高校を卒業して、

親が選んでくれた大学に入って(僕と共に大阪芸大に通う予定でした。)この先に敷かれている人生のレールのようなものの上を走るのが辛い。

 

そのレールから外れる方法はこれ以外思いつかなかった。

 

 

 

 

 

 

だいたいこんな内容でしたが、僕はこの部分に深く共感してしまいました。

 

 

このまま大学行って

 

 

 

大学の奨学金を返済すべく就職を決めて

 

 

結婚して

 

 

子供作って

 

年老いて

 

死んで行く。。

 

 

きっと思春期の誰もが感じたことがあるであろうこの悩み。

 

 

竹原ピストルのなんかの曲の歌詞でも言ってましたね。

 

 

人とは違う生き方をしてやるんだって、人と同じことを思いながら

 

俺はただ生きて

 

死んで行くんだろう。

 

 

って。笑

 

 

 

なんとなく見据えてしまってからくる無力感。

 

 

でも自ら命を断つのは絶対に間違ってることだけは確か。

 

 

ならば

やっさんはそうするしかなかったのなら

 

僕は逆に生きてそのレールから外れてやる。

 

 

 

僕にとってのその方法は音楽であり、バンドだ!

 

と当時の僕は強く決心しました。

 

 

やっさんの分も必ず生きて成功して

 

普通と言う名のレールから外れてやると誓いました。

 

 

 

 

そして大阪芸大に入学し(その後もちろん中退。)、しばらくして原ZINは解散。

 

僕はやっさんの後釜として、大ちゃんのやっていたバンドにベーシストで入ることにしました。

 

 

童貞ピーターパン改め、THE噛ませ犬と言うバンドです。

 

 

 

 

なつかし笑

(実はこの動画の中にpajama d'red元ギターの愛ちゃんが映っているので探してみてください笑)

 

やっさんの死を、同じ悲しみと苦しみを

経験したメンバーで、悲しみを乗り越えるように、と言うか

 

乗り越えるために必死に演奏しました。

 

 

Please Say Good-byeと言う曲はやっさんの曲です。作ったのは大ちゃんやけど。笑

  

そう思ってこのMV見てみるとよくわかります。

 

 

 

そんなこと、俺がネタバレしていいのかわからんけど。笑

 

ちなみに童貞のアキラは今上京してナックルチワワと言うバンドで猫耳つけて猫のアキラをやっててとても元気しています。

 

 

 

 

つづく。

ブッチャーズの7月のような日常

バンド活動以外の僕と言ったら、

タイトルにあるようにブッチャーズの7月のような日常を送っております。

 

 

 

あ、歌詞の内容とかではなく、感じね。感じ。。

 

 

憂鬱でもなければ何も満足指定ない、、、

まだまだやりたいことがいっぱいあるけど今すぐ行動できる状況ではない、、

お金がない、

 

 

、、、そんな感じなので楽しみ、趣味的なものといえばやはりつりかな、と思い寒空の下明石海峡大橋の手前まで先輩と2人で

 


釣りしに行きました。

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寒かったーーーー

こんなんほんまに釣れるんかな、、と思ったんですが

餌をつけて海に仕掛けを投げ入れた瞬間きました。

 

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暗くて魚の写真は取れてません笑

 

 

なので結果、、!

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カサゴメバルがなかなか釣れました。。!!

 

 

 

これには写っていませんがなぜか貝も釣れたんですが、

その貝が一番美味かったです。

 

サバイバル日記のような日記

年末の黄金伝説、無人島のやつ見ましたか?

 

あのよゐこのやつ。

僕あの無人島シリーズが本当に好きで、

年末以来ナスDの大冒険をyoutubeで見まくっています。

 

 

きっと僕は昔からアウトドア気質なんでしょうね、

海好きですし、今でもたまに釣りしに海行きますし

小さいろは1人で沖の方までよく泳ぎに行ったもんなんですけど、

大きくなってどうしても怖くなってしまいました。

 

なんでしょうね、もちろん子供の頃も海にサメがいることは知っていたし、

おんなじ恐怖感はあったはずなんですが

 

今は年に一回いく福井の海でも、

誰かといっしょでなきゃ沖の方までいけません。。

 

 

僕が中学校の頃ぐらいまでは

田舎のおばあちゃんがいきていた頃、京都の南丹市美山町という今ではすごくメジャーな観光地になってしまったすごくいいところが僕の田舎やったんです。

 

そこに由良川という、大きな川と(僕らは大川と呼んでました)

その上流の方おばあちゃん家の近くのプライベート感満載の少し狭い川、両方が遊び場で

よくモリを持って縦横無尽に泳ぎまくって、足滑って滝から落ちたりしていました。

 

今かんがるとぞっとします。

 

ぞっとするんですが

あの時のワクワク感

大自然の楽しさみたいなんが

 

あの黄金伝説の番組の中に詰まっている気がします。

 

僕もモリでいっぱい魚とって見たいんですが

夜の海入るのはさすがに怖いので慣れるまでの壁が本当に高い気がします。

 

 

きっと慣れてしまえばこっちのもんで

縦横無人に海を泳ぎまくるイメージはだいぶついてるんですが

 

泳ぎたいですよね、、

 

こんな大阪の郊外に生まれたシティボーイズでなく

海に面した漁師町に生まれていたら今頃

ギターではなくモリを持って海女さんと一緒に素潜っていたか、素潜りすぎて死んでいたかのどちらかだと思います。

 

いやわからん、地球自転車という名前でテルミンを使いゴリゴリのバンドをしていたかも笑

 

 

こんな少人数しかわからない小話をしたところで、

今日は早くナスDのyoutubeを見たいので切り上げます!!!

 

では!!

怠けすぎた

本当に怠けすぎました。

 

引っ越しして3ヶ月、迎えた正月という長期休暇。。。。

 

 

しばらく11時より早く起きていません。こうなると本当に元に戻るのが大変で

明日バイトで昼からなのですがそれでも心配です。

 

怠けてしまうと本当に色々心配になってきますよね

 

俺はこのままで大丈夫なんだろうか、、、なんてもっと早くから考えろよ!と思われますが

 

一人暮らしの時、

今のバンドを始める前バイトを詰めてすごく働いた時に

身体はしんどかったものの心はすごい充実感を得ました。

 

その欲求というかなんというか

 

怠けてしまうと人間無い物ねだりで

働いてる充実感なるものが欲しくなってしまいます。

 

早く好きなことだけで行けるようになりたいなーーーーなんて、、、

 

ユーチューバーになる気はないですが、、、。

こう見えても今の時代の若者なんで。笑

 

ゆとりっ子なんで笑

 

とかなんとか思ってしまいます。

 

そういえば最近周りではゆとり世代がどうだのこうだの聞かなくなりましたね。

 

1、2年ほど前は居酒屋なんて入ると

30代半ばから中年のサラリーマンが口を揃えてゆとりゆとりと、

 

テレビ番組でもゆとりVS企画みたいなんがありましたよね?

 

いろんな大人が寄ってたかってゆとりは悪い!ゆとりはだめだ!!!と言われていた渦中のゆとり世代を過ごし抜いたわけですが、、、

 

もう誰も何も言わなくなったのはゆとり世代がうまく社会に馴染んだのか、

 

社会がゆとり世代に合わせたのか、、、、、、、

 

 

 

ま、これから社会をひっぱて行くのは若い世代なんだからいつまでも文句言っていたってしょうがないし

僕らゆとり世代が超賢くて何でもかんでもできすぎるとそれはそれで同じぐらい文句を言われてたような気がします。

 

 

そう言ってる僕は何を隠そう

その社会から一応外れてる24歳フリーターバンドマンなんですけどね笑

 

 

怠けすぎて社会がどうとか考えてしまった。

 

これは末期だ、、、。。

一月も後半になるとライブが続くので忙しくなります。

 

 

頑張って時代を乗り切っていきましょう。

マチは大切

ついに作っていたトートバックの発売が開始しました。

 

売れてくれーー

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なかなか頑張って作ったので売れてくれることを願っています。

 

 

 

 とまあここからも購入可能。

もしよかったら買ってください。

 

業務用のミシンを親戚から譲り受けて使っているのですが

すごく昔のミシンでまだまだ使えることに驚きです。

驚いたのはいいけれどいかんせん振動がすごいので夜中は作業できません

 

お正月を使って作っていたのですが

 

毎日作っていると時給が発生しないことにすごく違和感を感じてきます。

 

そのせいか、売れてくれ!!!という気持ちが人一倍大きくなってしまいます。

 

 

工場の人は大変ですね、

細かな工程を繰り返して作業して

 

僕がハンドメイドにこだわる理由は、思った通りの商品ができるから。

 

それと、物を作ることがとても大好きなので

なんだかんだ言ってミシン踏むことがとても楽しいんです。がやはり大変ですねーー

 

売れるかどうかもわからない商品をここまで手間をかけて作る僕のメンタリティは自分でも正直引きます。

 

そうそう、以前作ったサコッシュがあと一個で完売となりました。

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なのでこの次はいろんな種類のサコッシュ

いろんな種類のトートとか

 

小物を主に作っていきたいですね

 

なかなかいませんよね、

物販小物メインのバンドなんて笑

 

逆にTシャツとかもう作らないでおこうかな

 

全部ハンドメイドにして、、、。

 

名前がパジャマドレッドなのでいずれパジャマを作ろうと思うのですが

 

なんにせよパジャマはハードルが高い!!笑

できればセットアップで作りたいし

バンドのグッズで売って、売れるのか心配になってきますが

 

とりあえず小物をいっぱい作って売って、

パジャマを作る余裕を養うことが先決ですね。

 

バンド名をウォレットデストロイにでもしたら気兼ねなく小物いっぱい作れましたね笑

 

 

バンドなんだから曲作れ!!!とお思いのことでしょう。

大丈夫です。発表できるまでに色々大変で。ハンドメイド以上に。

しばらくグッズを見て我慢していてください笑

 

今年はいろんな新しいことができそうでとてもワクワクしています。

 

 

 

乞うご期待ください!!!